日子山・宇佐奥宮・阿蘇国造線についての考察

英彦山は、日本三大彦山の中のひとつ。またの名を「三大修験道」とも呼ばれている霊山です。

①出羽三山[山形県]
②大峯山[奈良県]
③英彦山[福岡県、大分県]

そして、日本三彦山(さんひこやま)の中のひとつでもあります。

①弥彦山[新潟県]
②雪彦山[兵庫県]
③英彦山[福岡県]

「彦山」は、歴史の中で名称を変えられています。かつては「日子山」と表記されていました。それは、山そのものが御神体であることに加えて、その御祭神が、アマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)によって産まれたとされる五柱の男神の中の一柱、天之忍穂耳命であるからです。

●現)英彦山神宮御祭神
天之忍穂耳命

これが非常に都合が悪かった。なので、嵯峨天皇の命により「彦山」、さらに霊元法皇の命によって「英彦山」と変えられています。

なぜ変えられてしまったのか、神武以降の歴史は、支配者(天皇)が自らの血統を神として人民を支配するという体制でしたので、どうしても神武以前の歴史を封印する必要があったわけです。

山を神とする山岳信仰は支配者にとって非常に都合の悪いものでした。しかし、完全に消し去ることは出来なかった。

それは修験道の中に脈々と時を越えて受け継がれていったからです。

この事を天皇の歴史を紐解きながら辿っていくと、神武以前の歴史が消されそうになると聖者の出現があったのだとわかります。

先ず、藤原一族が天皇家に入り込んだ時代は、古事記・日本書紀による歴史の改竄がなされた時。その時代に出現したのが役小角でした。役小角は修験道の始祖です。

その後、各地で「神を天皇に置き換える」という事がさかんになります。

その代表が宇佐神宮です。

□現宇佐神宮 御祭神
主)八幡大神(応神天皇)
二)比売大神(三女伸)
三)神功皇后

宇佐神宮は、主祭神を八幡大神としていますが、その八幡大神は応神天皇のことです。
そして、支配者が最も好んで使いたがった「戦の女神」神功皇后。この方を御祭神とする神社は特に九州に点在しています。そして、この二柱の間に「三女伸」を挟んで祀られているのです。

この「三女神」とは、日子山の御祭神と同じく、アマテラスとスサノオのウケイによって生まれたとされる女神です。

この事は、宇佐神宮の奥宮を隠すためとしか解釈しようがありません。というのも、宇佐神宮奥宮は、この三女神を御祭神とされているからです。

宇佐神宮奥宮(大元神社)の御祭神
三女神「比売大神」
・多岐津姫命
・市杵嶋姫命
・多紀理姫命

そして、この諸々の出来事、「日子山の改名」や「現:宇佐神宮の建立」の時代に現われたのが最澄・空海です。

天台宗の最澄、真言宗の空海、どちらもその「行」の中に厳しい修験道が秘められています。

こちらは比叡山の千日回峰行。ご参考までに。

そして、宇佐神宮奥宮。実は、ここはもう随分長いこと気になっている場所でした。というのも…。

天津神)阿蘇神社ー霜神社、国津神)八坂神社ー竜王社という四つの神社を結ぶ平行四辺形。

その真ん中を北北東に突き抜ける「国造線」。これは、阿蘇中岳火口を通り、その延長線上に位置するのが、阿蘇一族の祖先の墓所である国造神社です。

その線をずっと伸ばしていくと…

それは、宇佐神宮奥宮に突き当たるのです。

阿蘇一帯に幾何学的に配置された神社群は、張り巡らされた結界だった…。

これも、神武以前の歴史を封印するため?

あまりにも大がかりな虚構。

頭の中ではなんとなく理解していたつもりでも、今ひとつ「事実」として落とし込めない。

だから今回は、面倒ではありましたが、宮内庁版の天皇暦を用いて、史実を埋め込んでみることにしました。非常に面倒な作業でしたが、出向くにあたり納得したかったのです。

結果、

阿蘇炎のピラミッド神社群の謎(秘密)とは、日子山よりも古い「日本最古のフィクション」で、二千年を超えて続くことになる(神武の世)をが終焉を迎えるために、後世の者が「その嘘」に気づくために仕掛けられたもの…だったのかもしれません。

今回作成した資料年表の全容はこちらです。

5日に英彦山、6日に宇佐神宮奥宮へ向かう予定です。

タイトルとURLをコピーしました